「 月別アーカイブ:2018年08月 」 一覧
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ギャンブル依存のキロク 〜依存の自分史第5夜〜
時系列でいうと第1夜のあと。 ここからギャンブル依存が加速する。 大学生活 なんとか大学3年になれた。 2年間授業をサボリまくっていたから、 そのツケは当然のように回ってきた。 進学するのに必要な最低限の単位しか 取得していなかったし、 3年生でかなりの単位を取得しないと 卒業できない可能性が出てきた。 月曜から土曜まで授業でびっちり。 平日は1限から5限まで 土曜は3限まで 部活やゼミどころではなくなり、 生活が一変して毎日学校に行くようになった。 居酒屋でアルバイト 居酒屋でアルバイトを始めた。 オープニンングスタッフで、 某有名企業の系列店舗だ。 ポジションはホール業務だが、 主にドリンクを作る「ドリンカー」を担当した。 平日は夕方から23時まで 金曜・土曜は朝5時までの通し 授業のあとの夜の時間は ほとんどアルバイトしていた。 仕事が終わったあとは バイト仲間と飲みに行く 通し明けでカラオケ、パチンコ… 学校が忙しくて疲れているはずなのに 体のことを無視して遊んだ。 当然のように”大きなツケ”がきた。 アトピー性皮膚炎がひどくなる ぼくはもともと体が弱い。 アトピー性皮膚炎、アレルギー性鼻炎など アレルギー症状を幼い頃から抱えていた。 大きなツケというのは、、 アトピー性皮膚炎がとてもひどくなったのだ。 不規則な生活 喫煙 飲酒 ストレス 水仕事 グラスを洗う洗剤 アトピーが発動するあらゆる条件を満たしていたに違いない。 今思えば、なって当然の生活をしていた。 ・かゆくてねむれない ・水仕事で全身の皮膚がただれる ・眉毛がなくなるくらい顔をかきむしる ・かゆくて寝れず、何度も「死にたい、死にたい」と奇声をあげる 生き地獄だった。 楽しかったこと 学校生活の忙しさや アトピーのつらさはあったが 楽しいこともあった。 バイト仲間とはみんな仲良しだった。 アトピーで皮膚がただれて見た目はひどかったが、 とくに気にせず遊んでくれた。 仲間とのつながりが強かったので 2年くらい仕事をつづけられた。 自分にとっては快挙だ。 パチスロついて、理論的な勝ち方を悪友から教わり 勝てるようになってきた。 消費者金融からお金を借りる頻度が減ってきたし、 打っているときはつらさを忘れられた。 学校では心理学・倫理学・宗教学など 興味ある分野の勉強ができた。 「自分は何のために生まれたのか?」 この答えをずっと探していたので、 ヒントがたくさんあった。 大学3年生、 すごく楽しいこと、すごくつらいこと 極と極が同時に存在した。 ギャンブル依存 理論的な勝ち方を学んだので、 さらにパチンコにのめり込んだ。 悪友からパチスロの方が勝てると教えてもらい、 パチスロに切り替えた。 たしかに楽しい。 3つのボタンを自分で押し、7を揃えることができる。 目押し力というのが必要で、 パチンコと違いプレイヤーの技術力が 問われるのがパチスロだった。 その他にも、知識、台やお店での立ち回りなど 深いところまで悪友からレクチャーを受けた。 忙しい日々の合間に行くようになった。 丸一日休みの日はほとんどなく、 ヒマさえあれば悪友とパチンコ屋に行った。 現実生活がとてもしんどかったので、 パチスロを打っているときくらいは なにもかも忘れたかった。 徹底的に現実逃避がしたかった。 生きるために 今思うと心のバランスを取るために必要だったと考えられる。 そうしないと生きていけなかった。 何かに取り憑かれたようにしてまでも。 いつの間にか、、、 居酒屋のバイトなしでは生きて行かれなくなっていた。 タバコなしでは生きて行かれなくなっていた。 そして、パチスロなしでは生きて行かれなくなっていた。 ギャンブル依存だけではない。 …
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ギャンブル依存のキロク 〜依存の自分史 第4夜〜
大学1年生のときは 授業にほとんど出ていなかったので 授業の単位はボロボロでした。 無気力な状態のまま1年が過ぎていきました。 タバコ パチスロ 依存のラインナップが新たに追加された1年でした。 大学2年になり少しは意識が変わったのでしょうか? 変化 ガラにもなく?ゼミに参加し、 あぶない刑事に憧れ警察官を目指す 親友と出会います。 よくつるんで朝までカラオケしていました。 ゼミの他のメンバーとも結構打ち解けて、 そこで彼女ができ、ぼくの家で半同棲生活が始まりました。 おかげで2年生になっても 1年生のときほどではないですが ほどよく授業をサボっていました。 また、肉体を鍛えようと 琉球拳法部(沖縄空手)に入り 毎日筋トレと練習ばかりしていました。 大学1年ときにずっと一緒にいた悪友とは もともと学部が違うのもあり、距離が離れました。 キャンブルとの距離感 ギャンブルからも遠ざかったかというと そうではありません。 高校時代の友人たちは連日ぼくの家に入り浸り、 夜通しでテレビゲームからの朝マック。 お金があるときは パチンコ屋にいっしょに打ちに行く。 悪友とたまに会ってはパチンコ屋へ。 ゼミの親友ともパチンコ屋へ。 彼女とも・・・ 生活の中にギャンブルが入り込み、 さらには時給が高いのでパチンコ屋で バイトを始めました。 転落 空手の試合に出て一瞬で負けました。 あるとき練習で足の骨を折り 練習も筋トレも出来なくなりました。 心の灯火が消えたように、 ケガが治っても部に復帰する気持ちになれなかった。 気づくと、自然と部から足が遠のきました。 彼女が別の男を作りました。 相手がラルクのHydeに似ているとか。 別れました。 大学2年の冬でした。 それまで順調だった日々が 徐々に音を立てて崩れ始めました。 穴 親友から「お前は将来何をやりたいの?」 と言われ続けましたが、 相変わらず自分がよくわからない。 何のために生きているのか さっぱりわかりません。 心の中にぽっかりと穴が開いています。 それを埋め合わせ、忘れさせてくれるのが パチンコでした。 大当たりしたときの刺激、高揚感、爽快感。 たまらない。 また味わいたい。 何度も何度も。 いつの間にか侵食されていました。 気づかないうちにずいぶん進行していたようです。 依存というのは、自覚症状がないままに いつの間にか侵されていることがほとんどです。 気づいたときには、依存の泥沼にどっぷりつかっている。 おそらくその当時、 「君はギャンブル依存だね」 と言われても否定していたでしょう。 ぼくも典型的なパターンでした。 現実逃避 パチンコは簡単に現実逃避できる 身近なツールでした。 ほんとうに何もかも忘れさせてくれる。 目の前のことに夢中になれる。 よく負けていたけれどたまに勝てるのが さらなる中毒性を生みます。 「また勝ちを味わいたい」 勝つと自分が大きくなったような錯覚に陥ります。 幻の自分を求めて何度も何度もお金をサンドに突っ込みます。 そう思ってパチンコ屋に足しげく通うようになった 大学2年生の終わり頃でした。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 まとめ、そして次回予告 今回でギャンブル依存の前夜編は最終話になります。 次回は本編に戻り、ギャンブル依存の第1夜のあと 大学3年生の秋に話が進みます。 学校生活やバイトに忙しくなる、 さらにパチンコにハマっていく・・・ お金もお肌も生活も どんどんボロボロになっていきます。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ようだつかさの”いま” どこかで書いたかもしれませんが、、 ぼくはいまパチンコ屋には行きません。 ギャンブルはやめました。 ただ、ときどきゲームセンターでパチスロを打ったり パチスロ関連の動画を見たりして楽しむ程度です。 ”毒抜き”がある程度されたので …
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ギャンブル依存のキロク 〜依存の自分史 第3夜〜
第2夜 のつづきです。 大学1年の頃の話ね。 仕事(アルバイト)について バイトを始めるがすぐにやめた。 まあ続かない。 1日でバックレることも結構あった。 3ヶ月続けば上出来。 びっくるするくらい続けられない。 自分の不甲斐なさを呪った。 「自分はなんて忍耐力のない男だ」 「物事を継続できない男だ」 とかなり凹んで、自己否定感を醸成した。 仕事に関して言えば、高校時代はヤ○ザ○のパン工場で 1日限りの短期バイトをしていた。 学生は勉強が本分と親から言われていたし、 バイトをするのをあまり許してもらえなった。 でも彼女とのデート代欲しい。 黙ってこっそりやった。 それでも足りないと母の財布から 黙ってお金をよく抜き取っていた。 罪悪感とスリリングを味わいながら。 話は戻って、長期の仕事はまるでダメ。笑 転々とした。 唯一の及第点は、パン屋さんのドックパンを作る係。 これは”奇跡的に”3ヶ月くらい続いた。 当時の仕事についてはこれくらい。 どんなバイトを、どのくらいの期間やっていたのか あまり明確に記憶していない。 とにかく全然長続きしなくて そんな自分に凹んだ記憶が一番鮮明だ。 ギャンブルについて 友達に連れられて、パチンコ屋にはよく入ったが お金が無かったのでほとんどやっていない。 隣の席でときどき自分のお金を使って 遊びでパチスロを打つことがあったくらい。 友達はいいところのボンボンで金を持っていたけど ぼくにとって1,000円は大金だった。 隣でじっと見ていて、目押しの仕方や 7の揃え方を教えてもらった。 ギャンブル依存に片足を突っ込んだくらいなので 大学1年の頃は軽めの状態。 それが、大学2年・3年と年を経るごとに 依存が進行していく。 次回は大学2年の頃を書いていきます。 トピックとしては、、、 ゼミが始まり親友と出会う。 新たな部活を始める。 彼女ができる。 そしてゆっくりとギャンブル依存が進行する。 どうぞよろしく。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ようだつかさの”いま” 今回もいろいろ感じたね。 未解決な感情があぶり出され 書くことで整理される。 ほんとありがたい。 過去の自分に一言物申す。 仕事で長続きしなかったことついて。 「無気力なときに何やっても続かないよね。 しゃーないさ。」 と、いま単純にそう思えた。笑 おれは自己否定感の製造マシーンだったのか・・・汗 母の財布から金を盗んだこと ずいぶん年月が経ってから母に懺悔したが なんとなくお金が減っているのを分かっていたらしい。 分かっていたのなら、 怒って欲しかった、これがホンネ。 母は小言を言うけど、自分の手に負えなくなると 父親にバトンを渡した。 いつも汚れ役は父親で、強烈に叱られた。 本当は母親から叱られたかった。 叱ってくれないことに愛情の不足感を感じた。 母親のトラウマ 母親は祖父母との家庭でのトラウマがあって 怒ることはダメだと封印していた。 結構ガチで怒るを律していて 7、8年後に祖母が亡くなった直後 その話を聞いた。 まあ・・・自宅の電気をつけっぱなしにするのが ぼくの得意技だったので、よく怒っていたけどね。 本人は怒っている自覚がなかったようだ。 過去の自分史より、今回は「ようだつかさの”いま”」がメインか? という厚みが出たのでそろそろ切り上げます。 どうもありがとうございました。
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ギャンブル依存のキロク 〜依存の自分史 第2夜〜
無気力な学生 第1夜から数年前にさかのぼる。 怒涛の大学受験がひと段落し、 なんとか補欠合格し大学1年生になった。 と思いきや授業にもいかず、悪友と学校近くの公園で 授業をサボってタバコを吸っている。 無気力・・・ まったくやる気が起きない。 大学入学という目標を達成し心はもぬけのカラ。 「何もやりたいことがなかった」 ”自分探しをする”という理由で大学進学を決めた。 全部で5、6校受験して偏差値の低い下2校で補欠通過。 中高一貫の進学校に通っていたので、本来なら大学は推薦で行けた。 本当はそこまで行きたい学校ではなく 滑り止めとして受けた2校しか受からなかった。 それでもいい 何かが見つかればいい、 それとない理由で 何となくで入学した。 やりたいことがある友達がうらやましかったなあー ホテルマン、テレビのプロデューサー 数少ない高校時代の友達はちゃんと将来を決めていた。 ぼくは・・・ やりたいこともなかったし 大学行って何か変わればいいな、という希望的観測のみ。 さらに高校3年のときに付き合っていた彼女とも破局し、 毎日の生活が空っぽになった。 依存が入り込む びっくりするくらい何もなくなった。 「何もしなくていい自由」 は、あったけど。 傷ついて羽を休めていたところに、 依存という悪魔がするりとつけ込んできた。 タバコ、授業サボり、パチスロ・・・ ヒマな時間が増えたぶん ヒマをつぶすネタが欲しい。 授業に出てマジメにお勉強なんてまっぴらだ。 サークルとか部活に参加して 飲み会で盛り上がるとか考えらない。 公園のベンチに座って ヒマそうにタバコをふかしている。 パチンコ屋に入って 悪友の隣でスロットを打つのを見ている。 カラオケに行って バカみたいに熱唱する。 そんなもん。 しょせん、そんなもんだ。 そうやって気づかないうちに 依存の種が芽吹きつつあった。 なにもなかったので なにかしたかった ぬけ殻みたいだったから 刺激が欲しかった 夢中になれるものが その時はなーんにも考えていなかったけど 今思い返すとそういうことかもしれない。 トラウマを思い出すたびに怖くなる ホンネを言うと、サークルに入ってバカ騒ぎしたかった。 けれど、中学受験のときの失敗がトラウマになっていて、 大勢の人と付き合うのは恐怖だった。 中高一貫、推薦で大学まであがれる学校だったので 中高の知り合いも当然いた。 そいつらが近くにいる手前、 自分をさらけ出すことなんて 怖くてできなかった。 肩身がせまかったんだ。 過去にストレスから解放され 自分をさらけ出した失敗が頭をよぎった。 ただ憧れだけはあって。 放送研究部というちょっとマイナーな部活に入って 飲み会とかにも行ってみたんだ。 でもさ、やっぱり性分じゃない。 人がいっぱいいるし 人間関係も複雑だし。 高三の卒業のときに居酒屋に飲みに行って 店のど真ん中で吐いた。 すごくショックで それ以来お酒を飲むことが怖くなった。 人間関係も お酒の場も 自分にとって恐怖の対象。 数ヶ月したら部活には顔を出さなくなった。 依存心が強いぼくの心の構造 人間一人で生きられたら どれだけ楽だろう でもさ 人間一人じゃ生きられない。 寂しくて。。 やっぱ、誰かと一緒にいたくて。 その人と一緒にいれるのなら その人の好きなものを共有したらいい。 そうすれば、その人との時間を楽しくすごせる。 相手も喜んでくれるはず。 自分が好きとかじゃなく 人に合わせればいいんだ。 人生をうまく渡っていけるコツ。 これまでの人生経験で 自然と身についた術だった。 タバコ、ギャンブル、友人・・・ 依存はぼくの知らないところで …
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ギャンブル依存のキロク 〜依存の自分史 第1夜〜
ふうふう はあはあ ぼくは横浜駅西口のビブレの前を 赤いア○ムのカードを片手に 必死に走っていました。 パチンコ台に座ったのですが大当たりがこなくて 手持ちのお金(軍資金)が尽きてしまいました。 アルバイト代が振り込まれる銀行口座には 預金がありません。 全部使ってしまいました。 なので限度額に余裕のある消費者金融のカードを使って お金を下ろしもう一勝負しようという魂胆です。 「ふうふう・・・なんだよ、今日は土日かよ。」 消費者金融の無人ATMのある支店は 平日はシャッターが開き窓口に人がいるのですが、 休日は人がいないのでドビラがロックされており カードを通さないと解錠されません。 ぼくは小さく舌打ちしながら カードをリーダーにかざしました。 そしてATMの前に行き 息を切らしながら2万円を下ろしました。 「絶対これで当ててやる」 とにかく大当たりを味わいたくて あの爽快感が欲しくて欲しくて 支店からパチンコ屋までの 徒歩わずか1,2分の帰りの道のりも ダッシュでお店まで戻ります。 ソッコーで1万円を1,000円札10枚に両替し 台に座り千円札を投入します。 当てたくて とにかくあたりが欲しくて 無我夢中に目の前の台に食らいつく。 もう何も考えられません。 ・・・ まだ夕方前の15時。 ぼくはお店を後にしました。 消費者金融から融資した2万円も使い切り 1回も大当たりを味わえませんでした。 「なにやってんだよ!オレは!!」 欲しいものを手に入れらなかった怒り またお金を使い込んでしまった罪悪感 ぐちゃぐちゃにミックスされたごった煮のような 汚いものが入り混じった感情がぼくの中にありました。 「なんで、当てられないんだ!クソ!」 台を殴りつけたくなるような激しい怒りがこみ上げます。 また・・・負けが込んでしまった。 お金を使い負債を抱えてしまった。。。 なんてぼくはダメな人間なんだろう パチンコのセンスがなし! もうやめよう。 打ちに行っちゃダメだ。 帰り道。 自宅に帰ってから。 頭をかかえ 自己否定を繰り返し 自分を罰します。 何度も見えない刃物で 自分の心に傷をつけます。 そしてパチンコに行くのはやめようと 決断します。 でも次の日には忘れてしまう。 もっと出せるようになりたい もっとお金が欲しい また大当たりをひいて 玉をたくさん出したい。 現実よりも欲求が勝ってしまう。 昨日の決意なんて翌日になったら どこか彼方に行ってしまいました。 お金、お金。 自分の欲求を満たすにはお金が必要です。 バイトの給料日 消費者金融の限度額 新たな金策を必死になって考えるのでした。 →第2夜へ 〜〜〜〜〜〜〜 ようだつかさの”いま” この文章を書こうとしたとき、 みぞおちのあたりから黒いものが吹き上げます。 なんと気持ち悪い。 気持ち悪さをかかえながら 一気に書き上げました。 と、同時に”いまの依存”に気づき 苦しさがこみ上げ、気持ちが凹みます。 「なぜ苦しんでまで依存の自分史を書こうと しているのだろう?」 という気持ちがよぎります。 ネガティブな強い風が 自分軸をグラグラと揺らします。 黒いものがのどを通って爆発し 発狂したくなります。 きましたね。 自分と向き合っていきます。